こんばんは。
だるい…。
凄いだるい…。
明日車校面倒だな…(´Д`)
さてさて。
この前、植物医科学と言う本を大学で借りてきました。
まだ「はじめに」の所しか読んでないけど、興味深いことが書いてあった。
「植物病院ネットワークの構築」
動物病院はあるけど、植物病院って無いよね。
私が言いたいのは、
問題は、何故無いのか??
何故動物は優遇(?)されていて、植物は無いのか?
同じ命あるものなのに。
例えばペットを飼っていたとして、ペットの様子がおかしかった、どうも弱っている。
「大変だ!獣医さんに診てもらおう!!」
と、なります。
普通に。
が、植物を育てていた、ある日どうも様子がおかしい、弱っている。
「大変だ!樹木医に診てもらおう!!」
とは、ならないですよね。
まぁ、樹木医って言うのがそもそも少ないし、獣医ほど知られていない、って言うのも原因の一つではあるとは思いますが…。
じゃあ、もう一つ問題提起。
何故獣医が先に広まったか?
自論なので、事実は分かりませんけど、恐らく理由はこうでは無いかと思います。
1.人間の乱獲による動物の個体数の減少。
2.人間がペットとして身近に飼い始めたため。
基本的に、動物って言うのは種を守ろうとする心理が働きます。
人も同じです。
乱獲を始めた結果、生態系に打撃を与え、魚や鳥類だけでなく、人にも影響を与えかねなくなった。
自分たちが生き残るためにも、動物は守らねばならない。
そのために何が必要か?
動物の専門家、保護施設、技術者などなど…。
という感じで、獣医や動物病院は成立した。
それが一般に広がったのは、動物がペットとして身近になり、いつでもどこでも相談に乗れるような場所が必要になったからだと思います。
では植物病院が出来なかったのは何故か?
植物も乱伐されてる。
庭先で植えられたりして、身近にもあった。
なのに何故か??
これは宗教の教えのために阻害されたのではないかと私は考えます。
その宗教って言うのは、キリスト教の事です。
読んだのが随分昔なので、詳しいことは覚えてませんが、確か旧約聖書の一説に、「人間は神から自然を自由にする権利を与えられた」的なのがあった。
つまり、自然を好きに改造したり利用したり…って事だったはずです。
キリスト教世界の住人にとって、自然は利用するものであって、ペットのように「この子は私のパートナーよ。」とはならなかったんだと思います。
そして、自然は無限のものと思っていた傾向があった。
一方日本は、自然を利用しつつも、古来からの八百万の信仰もあって、自然を守ったり大事に扱う、っていう思いが強かった。
日本人はその暮らしぶりとかから見ても、自然が有限であることを知っていた。
価値観の違いと数の論理から、植物病院や医師が成立するのが随分遅れちゃったんじゃないかな、って思いました。
こんな時代だから、植物医って言うのは少なからず求められると思うな(´・ω・`)
ネットワーク構築は必要だろう、と思いましたとさ。
PR
単純に
2009/06/13(Sat)10:46
No.1|by 緋漣|
URL|Mail|EditRe:単純に
2009/06/14(Sun)00:43
でも私としては、植物でも同じ子は2つとして存在しない訳だから、動物と同じように可愛がってあげて欲しいと思うんだけどね・・・。
「安いからまた買ってくればいいやー」って言うのは悲しいねぇ・・・・・。